September 19, 2006

自民党総裁選が

うんぬんっての見ていて、
麻生太郎氏の演説の評判がいいらしい、
吉田茂の血を引いてるんだな。
演説のウマイ人は却って警戒してしまうな。
ヒトラーなんかはそれで熱狂させちゃったわけでしょ。

でも、どんなこと言ってるのか調べてみた。
取りあえずオフィシャルサイトの文章で
ニート」のとこ読んでみた。

私、そんなニート見たことないや。
どっかにはいらっしゃるのかもしれないけど。

ここ二年ほど、ニートになっちゃった人たち、
気分障害とか回避性人格障害の軽いの程度の人たちの
就職活動の後押しみたいなのしてるけど、
健康な自己愛ってのが育ってないよね。

健康な自己愛がきっちりあれば、
経済的に豊かでなくても
精神的に充実した生活は送れるんだけど、
自分が認められないままでは不幸。

だと、精神的にも落ち込みのスパイラルがきちゃうよ。

あんまり人のことは言えないんで、
私なんか、一つ間違ったら、
この下降スパイラルにはまってただろうから。

なので、麻生氏の「なんにもしない」「させたいようにさせておく」ってニート対策はどうだかなぁ。
安倍氏の再チャレンジってのも中身がよくわからん。
谷垣氏はなんか言ってるのか?またホームページ見に行こう。

ニート・フリーター革命 30歳へのスピード戦略―下流スパイラル脱出ミッション
 この本もおどすばっかりで、
 これでおどして動く人はおどさなくても動けると思う。
 おどして捨て鉢になる人の方が多そうだ。

麻生氏の顔の左側どうなってるんだろう?
左側は「陰の顔」だけど、それにしても極端な。
TVで見ていても左側の口角はどうも上がらないみたいに見える。
斜頚でもないようなのだが。

公式ホームページの写真も
開き直ってるのか、
右側からライティングして、
左の顔を陰にしている。

顔をいがめて笑うのがいい笑顔なわけないので、
ブレーンからの指摘は受けているだろうに、
もう動かないのかも。

でも、私だって、四十代後半で練習して、
右目ウインク可能になった。
やってやれないことはないように思う。

| | Comments (377) | TrackBack (0)

August 17, 2006

ADHDってどんな人/梅干し事件

盆休みは家族で和歌山に行った。

和歌山なんで(でなくても日本国の)
朝食バイキングには
おいしい梅干しが欠かせない。

2泊3日だったから、
体調の悪かった二日目は
おかゆ定食で行こうと思った。

元気になったら三日目は
イングリッシュ・ブレックファーストに仕立てる。

そういう予定だった。

まぜこぜはイヤな方なんである。
これはADHDのせいかどうかは知らないけど、
ちょっとばかり「こだわり」ってのはあるかな。
厳密には自閉症スペクトラムの傾向か。

ま、話は戻って、
 話の逸れやすいのはADHDだな

おかゆ定食を整えて、席まで戻ってきた。
さて、食べようと箸を取るが、
肝腎の梅干しだけがない。

「あれ~?梅干しなかったっけ?」
と一緒に回っていた長女に尋ねると
長女はあきれたように答えた。

「おかあさん、梅干し取りそうになってたけど、
 直前でやめて他のもの取ったよ」

見ると長女の皿の上には
ちゃんと梅干しが乗っかっている。

梅干しあったんだ、
そりゃ、和歌山で梅干しがないのは許されないよね。


なんで見てないんでしょう?


しばらく考えると思い出してきた。

梅干しを取りかけたとき、
隣の皿のべったら漬けが二切れしか残ってないのを
発見したのだ。

「誰かに取られる前に


 一切れ確保しなきゃ」

この命題が30ポイントのBoldで
ワーキング・メモリのなかにど~んと浮かび上がったわけ。

で、「梅干し取ろう」という意志は
メモリから押し出されて、落っこちた。

そのあとまた、
かまぼこの隅っこが
ダレにも取ってもらえなくて残ってる映像が
目に飛び込んできたから、

「不憫だから端っこを取ってあげなきゃ」
まぁ、こっちは装飾なしの16ポイントくらいだけど、
それが乗っかったから、
落ちてた「梅干し」の記憶は
とうとう拾われることなく虚空に消えちゃったのであった。


つう訳で、
宿題を出されたこと自体を忘れる小学生
みたいですけど、
こんな風に大事なこと落っことしながら
人生生きているんですね。

今回改めて思い知りました。

| | Comments (138) | TrackBack (1)

June 24, 2006

バカの壁の人の講演を聴いた

基本的に
自分のこと、アタマいいって思っている人なんだな
と感じた。

「バカの壁」ってのは、
我々おバカさんと
アタマいい著者の間の壁かもしれない。


 こうやって人の批判してる私も
 思い上がって、勝手に壁を作っていってるのかも。
 いつも自分のことちゃんと見るようにしたい。


私が許せなかったのは、
統合失調症の患者さんを
笑いのネタになんども使ったこと。

「了解不能」ってのは
訳のわからないことを口走っている
のとは少しちがう。

これとこれとが関係あるとは
常識からいって納得出来ない
って意味が基本。

思路が混乱しているから、
全く関連がわからない発言もあるが、
大抵の妄想は、哀しいほどに
パターン化したものだ。

そういう患者さんととことんつきあったこともない人が
患者さんをネタに講演で笑いを取っていい訳はなかろう。
 
 
 
 
午前中に受けたセミナーの講演者、
田中康雄先生は
 北海道大学大学院教育学研究科教授 児童精神科医
三人目の講演者だったけど、
最初から他の演者の講演もしっかり聞いていらして、
「児童精神科医はADHDかPDDのどっちかタイプ」
という話に大ウケ、
とてもチャーミングな方だった。

講演の内容も患者さんのために本当によいことは
何かを一番に考えた、
ちょっともらい泣きするようないいお話だった。

熱くて繊細で暖かい理想的な臨床医だと思った。

 ま、その後なくもがなの質問者が二人、
 自分の主張を一方的に述べ立てる、
 「田中先生はそんなこといってないでしょう、
 人の話くらいちゃんと聞いて質問しろよ」
 やだねぇ、理念を見て患者を診ない輩。

| | Comments (1189) | TrackBack (0)

gold・i・locks

父親を中心とする家庭をつぶしたかったのに
父親がいないときにしか行動を起こせなかったほど
父親が大きなものだったんだと思うと哀れ。

| | Comments (251) | TrackBack (0)

May 11, 2006

ついに・・・

ぷっちん切れしてしまった。


うちの待合室の本を盗むな~!

それも『リフレッシュ体操』って本だゼ~!

盗んだ本でリフレッシュもクソもないだろう。

    ~*~*~*~

4月は『KansaiWalker』をいきなり盗られた。それも2号とも。

郊外への行楽特集だったので、盗品を手に
花見かハイキングにお出かけになられたらしい。

さぞかしすがすがしく心躍る遠足だったろうと推測される。


3月はポリシャスの挿し木を盗まれた。

挿し木苗なんかは一言「ほしい」といってくれれば、
喜んで差し上げるのにさ。


2月は荒川静香の表紙の『Number』の盗難にあった。
トリノの記録だから永久保存版にするつもりだったのに。


    ~*~*~*~


開業以来、イヤになる位、うちの備品を盗まれた。


今までで一番ビックリしたのは、
開業祝いの信楽の狸だよ。

40cmくらいあったのに、どうやって持って出たんだよ。
そのあとどんな格好でうちまで帰ったのだ?


その次は、去年末の『家庭画報』だな。
『家庭画報』なんて持って帰ってと言われてもイヤだろう、あんな重たい本。
巨大なカバンを持っていたのか?

この時の特集は歌舞伎
(仁左衛門の扱いが悪かったので私は要らなかったにせよ)。

俳句・仏像・源氏物語解説本など、教養系のもの盗っていく人があって、
これらは同じ人だと思うんだけどね。


    ~*~*~*~

本の万引きなんて犯罪じゃないと思っている人がいる
んだろうけど、万引きは犯罪だよ。

待合室の本は、「私が厳選に厳選を重ねて、
心療内科に来られるような人の参考になる本を揃えてるんだから、
気軽に持ち去らないで欲しい、かなしくなるから」
って何度も手書きで書いてるのに、またやられた。

もう、こういうことする人には通じないんだ
と思って、ラベルメーカーで忠告を書かせていただいた。

「本・雑誌・植物苗などの無断持ち去りはご遠慮願います
 盗癖は治療が必要な症状と考えます。お持ちの方はお申し出下さい」

ヘンなのと思われてもいいんだ。もう怒ってるんだからね。
盗られるたびにすごくかなしくなるんだよ。


「自分には盗む権利があるから盗む」って
勘違いのヤツは
うちなんかに来るな、刑務所へ行け!

 そういえば『刑務所の中』を盗んでいったヤツもいたな。

| | Comments (86) | TrackBack (0)

May 04, 2006

左利きというもの

私は左ききだ。
これは早くから私のアイデンティティだった。


幼稚園のとき、左で字を書くといつも怒られた。

「叱らない育児派」の人は眉をひそめるかと思うが、
右手で書くように矯正されたのは結果的にはありがたかった。

文字というものは右手で書くように出来ているから、
左手でしかノートが取れないと
勉学において大きなハンディがつくのである。

縦書きや英字の筆記体を左で書くことは不可能ではない。
が、日本字の横書きを左で書いてみて欲しい。
どれくらい不自然なことか。


右への矯正が人権的にどうかと思う人は、
左利きと右利きがまったく重なることなく、
別の種族だと考えているのだろう。
それは間違った認識だ。これはADHDとおんなじね。


大抵の左利きの言語中枢は右利きと同じ左脳にある。

左利き度と右利き度をX軸に取り、人数をY軸に取ると
右利きに大きく寄った山が出来る。裾野は左側に引いている。

この引いている裾野の左側1割が左利きたちなのだ。

  右利きの大きな山があって、
    うんと離れて左利きの島がある

  「左利きは左を使うようにしつけてあげなくっちゃ」
  なんてこと考えてるお母さんはそう思っているんだろう。

両手が同等に使える人は右利きにしつけられる。
左利きの素養があるとも気づかず、自分は右利きだと思っている。

左端に位置する左利き度が極端に強い人は
右では字は書けないかも。
彼らの言語中枢は右脳にある可能性がある。

彼ら以外は訓練次第で右手で書けると思う。

  ADHDでは左利きの比率は高いようだ。
  当然読字障害も多いだろう。飽くまで感覚的に思うのだけど、
  矯正した方が読字障害を起こしにくいかと考える。

  『ダ・ヴィンチ・コード』で鏡文字が有名になった
  レオナルドだけど、彼は普段は右手で書いてたんじゃないかね。
  で、左手で絵を描いてついでに字を書くと鏡文字になる。
  暗号にもなって一石二鳥。

  ダ・ヴィンチは不注意型のADHDと読んだことあるが、
  彼の人生を追っていると
  もうちょっとアスペルガーに寄った人のような気がする。


字は右で書くのを薦めるとして、
次に考えておかなきゃってのがハサミ。

ハサミは幼児用は値段変わらなくて、
大人用は値段が違うってのは、
上手に詐欺にひっかけたみたいなものだ。

ハサミも練習すると左で使えるようになることが多い。
紙しか切れないプラスティックの幼児用ハサミがあるので、
それを渡しておけば右利き用を左で使うって悪い癖は付かない。

右利き用を左で使うのは最悪。

私の世代だと幼児用ハサミは切れなかったので、
仕方なく右で使うようになったが、
もう少し下の世代だと幼児用ハサミも切れるようになったらしい、
結構この癖のある人はいるみたいだ。

ちゃんと見てて、右利きハサミを右手使いじゃ
どうしてもうまく切れないことを確認してから、
左利き用を買っても遅くはない。

私は20歳位の時に初めて左利き用ハサミを買ってみた。
なんか違うんだよね。私のハサミじゃない。

そのハサミはどうも使い慣れず、大して使っていないというのに
どのハサミも左手で取るという悪いクセが付いちゃった。

どうも無意識にだと左手を伸ばしてものを取っているらしい。
それが、筆記具とハサミは右手で取ってたのが、
ハサミも左手が出ちゃって、右用ハサミを左手で構えて、
ああ、切れない、また間違えちゃったよ
そんなむなしい体験をしている。


左きき用の器具が高いのはしょうがない。腹も立たない。

裏返しのものを作るのは大変な手間。
それが十分の一以下しか売れないとすれば、
当然値段は高くなる、資本主義なんだから仕方ない、
値段が十倍でないのはまだしも良心的だ。


なので、私は左きき用のものはあまり持っていない
(左きき用の切り出し彫刻刀は欲しいんだけど)。
出来るだけ、左で不利にならない両用のものを
買うように心がけている。

たとえば、財布の小銭入れはホック式、チャックは避ける、
  チャック式もがま口も右利き用に出来ているとは、
  右利きの人には想像も出来ないことじゃないかな。
チャック式のバッグはチャックに二つ引き手がついているものにとか。

左きき用のものに慣れているとそれがない出先で困るんで。


左ききだとほどほどにマイノリティでいられる。
もっと人と違ったところがあって、
不自由を感じている人の立場も想像しやすい。

そんなわけで私は生まれ変わっても左利きでいたいし、
ADHDに対してもそう思っている。

| | Comments (188) | TrackBack (0)

April 20, 2006

『日々剣呑でもないが』の成分分析

ちまたで流行の「成分分析占い」

日々剣呑でもないが の成分の分析結果

日々剣呑でもないが の34%は安心で出来ています
日々剣呑でもないが の30%はカルシウムで出来ています
日々剣呑でもないが の24%は駐輪場で出来ています
日々剣呑でもないが の8%はマラソンで出来ています
日々剣呑でもないが の4%は心理学で出来ています

オチが付いてよかったわ。

ジツは「剣呑」と「でもないが」の間には半角スペースがあるのですが・・・。

| | Comments (1038) | TrackBack (0)

April 17, 2006

矢野絢子さんのこと

一昨年の六月頃か、たまたま見た『うたばん』に
メジャーデビュー前の彼女が出ていた。
ぎこちないかなり天然な話し方で、
司会の二人にいじられたあとの
『てろてろ』の弾き語り。

魂に触ってくる声。

「てろてろ」という不思議な擬態語ともに
確かに記憶に残った。


その数週間後、どこかの店の有線放送で再聴した。
買い物の手が止まり最後まで聞き入らされた。
デビュー作のマキシシングルを買いに行った。

単純なメロディの繰り返し、
力のない歌い手には歌いきれない歌。

カップリングの『ニーナ』
19世紀末のシャンソンを思い出した(そして泣いた)。

「ニーナ」ってのはヨーロッパの家具職人が作った
椅子の名。その椅子の一生を歌った歌。

椅子としては大事にしてくれる持ち主を渡り歩いて
幸せな一生(?)だったと思うんだけど、
これがもうクライマックスで泣く。

「椅子の話で泣く」
予想も付かないでしょう?
でも、彼女の歌に感受性のある人なら泣く。
感受性のない人にはピンとこないだろうけど。

とことん好きずきのある歌だと思う。
アマゾンのレビュー見てもよくわかるけど。


私がくどくど言うよか
『愛と苦悩の日記』より矢野絢子関係記事
読んでもらう方がわかりやすいかと。

ただ補足としては、「暗い歌詞」とあるけど、
私は暗いとは思わない。
ただただ生きることに真摯なだけで。

群れることで安心を得ている若者たちとは違う。
人間同士が本質的には分かり合えないこと、
それでも、人間は人間と関わらずには生きていけないことを
見据えた上の歌詞だ。

それは「暗い」とは言わない。
うすっぺらな応援歌よりどれだけ勇気をくれることか。

それから追っかけていて、
新しいアルバムを楽しみにしていた。
駅前のJOSHINのCD売り場は
「矢野絢子」って仕切り板があるのだ。

H17秋に発売された『窓の日』
素朴なアレンジで彼女の出身地であり、
今も本拠地とする高知のライブハウス
「歌小屋の2階」で録音されたそうだ。

HDDプレーヤーに落として、台所仕事をしながら聞く。
アレンジが地味なので、じっくり専念して聞かないと
ちょっと弱い感じがするかなぁ
 じっくり聞くと『明るい方へ』も楽しいし、
 『一人の歌』はとても心にしみるし、
 「ぽんぴりぱんぽんぺんぺん」と
 オルゴオルの音が印象的な『雨のレストラン』も好きだ。

なんて、思い始めたころに流れた
9曲目の『ふたつのプレゼント』

これが圧巻
『ニーナ』とは全然違うけど、
これもすすり泣くほどに泣いた。


あなたのおうちではないかもだけど、
近頃にはよく聞くそういう家庭に育った女の子が歌う、
「私の名前を思い出してくれる人」に向けて。

アップテンポでむしろ軽快な曲だ。
なのにボロボロ泣いてしまう。
主人公の女の子に同情してじゃない
と今これを書いていて気づいた。

憎んでも愛さずにはいられない
そういう人の存在、その人との関係を
歌い手の女の子(『ニーナ』が実体験でないとと同じで、
歌詞上の「わたし」が矢野絢子自身である必要はない、
まぁ、自身であってもいいわけだが)が
自分を含めてそういう哀しい「ひと」と「ひと」との関係というものを歌う。
 言い換えれば、さっき書いた、「人間同士が本質的には分かり合えないこと、
 それでも、人間は人間と関わらずには生きていけない」そういうことを歌ってる。

その時聞き手の私もそういう「ひと」の一人なんだってこと
そういう事実を突きつけられた感じ・・かな?

言葉が足りなくてうまく表現出来ないけど。


これからも楽しみだなぁと
時々のぞいていた公式ホームページ、
12月の更新のエッセイで、
レコード会社との契約が今月末に切れると読んで、
ひどくショックだった。

やっぱりメジャーにはならない歌なのか。
まがいものの歌ばかり流行るのに。

とはいうものの、私だけ(<思い上がり)が知ってる宝物が、
世間にもまれて変質させられたりするのを見なくてすんだと
ほっとする気持ちも一方ではある。

公式ファンクラブ申し込んだ。
ライブ情報とともに年に何枚かCD送ってもらえるという。

ファンクラブの名前は「アカリトリ」。
「アカトリ」かと思ったけど、
よく読むと「アカトリ」。

人には気付かれにくいけれど、
その部屋を明るくしている明かり取りの窓。
彼女の目指すものかもしれない。

公式ホームページ

彼女の期間限定ブログ(既に終了)で
何曲か一部試聴可

楽天市場での矢野絢子関係リスト
結構ダウンロード出来ますね。

矢野絢子『ニーナ』
190円なので一度聞いてみて下さいな。
あんたとは趣味が合わんと言われればそれまでですが。

| | Comments (630) | TrackBack (1)

February 01, 2006

TVドラマ『野ブタ。をプロデュース』

年末にTVドラマの『野ブタ。をプロデュース』の最終回を見てから、
心がなぜだかホコホコしていた。

お話がハート・ウォーミングな終わり方をしたのは確かだが、
それにしてもなんでだろうな~と考えていてちょっとわかった。

公式サイト
Wikipedia
『ウィキペディア』ではTV版のファンが愛情持って書いている。

原作については、芥川賞ノミネート前に毎日新聞の書評で知った。
面白そうだと思い、書店で手に取ったけれど、
最初のページで主人公がトーストにマーガリンを塗って気取ってたので、
イヤんなってやめた。トーストにはやっぱバターだと思う。
マーガリン好きは主人公の性格描写なのかもしれないけど。

でも、近頃の若者たちの表面上は群れて仲良くしているけど、
薄氷を踏むような関係を描いたものという設定は気になっていてた。
ドラマ化を聞いて、平積みのを立ち読みしてみた。

 立ち読みといっても、10ページおきくらいにめくっていき、
 そのページを斜め読みし、
前後のつながりを考えながらストーリーを組み立てる。
 グイン・サーガなどはこれで二十数年ついて行ってるんだが・・・。

そんな読み方で申し訳ないけど、まぁ見切ったと思うんだけどな、
「おいおい、それでオチかい」って。
石原慎太郎と久しぶりに意見が一致したな(笑)

 若い人の作品と文体を一概に否定するつもりはなくて、
 たとえば作者が中学三年生という『平成マシンガンズ』、
 これは10ページ読みで見切ったとは言わないや。
 文章にリズムがある。あらすじはわかったけど、
 それだけじゃないことは認める。


で、ドラマの話に戻る。

ジツは最終回以前のは一回しか見てなくて、
その回は「野ブタ。」登場シーンがほとんどなかったのだ。
結構つらい描写もリアルなよう、

それを全部9回までに解決して、
最終回は、恋愛感情とか関係なしの三人の理想の友情関係。
ああ、ユートピア。


三人というのは、原作にない、修二の友だち、
草野彰という登場人物が作られているから。

「野ブタ。」は女の子になっている。
原作の「野ブタ。」は(すっ飛ばし読みでは)あんまりリアリティ感じられなかった。

TVの「野ブタ。」は明らかに自閉症スペクトラムに属する子だ。
脚本家二人の人間観察力なのか、知識があるのか。

笑わない、コミュニケーション能力に問題がある、
人の気持ちの裏が読めない、ジョークがわからない、
思いついたら突然走る・・・。

最終回でも、彰がちょっと口にしたことをマジメにとって、突然走って実行する、
その最中にもどってきて、修二と彰に「野ブタ。パワー注入」して、
「バイト中だから」とまた走って帰る、
雇い主がからかったのがわからず、
バイトのコスチュームのまま、また二人を捜して必死で走る、
彼らをタタリから守ろうと彼女が考えた末に取った行動とは・・・。

とっても楽しい場面なので、あんまり詳しいことは書かない。
DVD出るので、買うか借りるかして下さい。

ともかく、いじらしさ、純粋さ、自閉症スペクトラムのいい面すべて出てる場面だった。


社会のルールが直感的にはわからない人たちなのだから、
彼らに新聞をにぎわせる犯罪を時々おこなわせている今の日本は
(本来は、犯罪の被害者になることの方が多い人々だ)
ほんとに社会が悪いのだと思う。鏡みたいなものだ。

一般の人々が「やられたらやりかえせ」「自分の気持ちが一番大事」
「キレた者勝ち」というようなルールを声高に叫ぶ。
全部真面目に受け取って自分を追いつめてしまってるんだよね。
一番まずい対応を取っちゃったんだ。

もちろん、大多数の自閉症スペクトラムの人は事件を起こさないのは、
この『野ブタ。をプロデュース』を見てもわかる。


人一倍他人の心の動きが読めるし気になるACっぽい修二と
マイペースで独りよがりな上ズレてるけど、
まっすぐで優しいADHD不注意型の彰が、
アスペルガー症候群の「野ブタ。」をプロデュースして、
一般的な子どもたちにも受け入れられるよう橋渡しする、
そうして、「野ブタ。」やまわりの子どもたちだけでなく、自分たちも成長していった。

という話をクサくなく、ちょっとすっとぼけたトーンで描いている。

周りを取り巻く大人たちもなにやらスカしてるけど、
彼らをちゃんと見守っていて、大変なときには最小限の介入している。

修二のお母さんは明らかにADHD多動型だから、
どうも修二はこの手の軽度発達障害の人々をほっとけない傾向があるんだろう。


見ていてココロがホコホコしてきて、楽しかったのは、
ACの夫とADHD不注意型の私が
自閉症スペクトラムの患者さんの手助けをするって、
そういうストーリーを重ねていたからだったんだ。

そういう風に今年もがんばっていきたいと思う。
よろしくお願い致します。

でさ、最終回で、「野ブタ。」が二人に
「の、のこぎりないかっ?」って訊くと
彰が「・・・それがあるんだなぁ」と二つ折りのを取り出した場面があった。

一般的な視聴者は
「のこぎりを携帯してるなんて、そんなご都合主義な」
と笑ったと思うのだが、
私、彰と同類ですからね~、
男子高校生だったら、のこぎり位は携帯していた自信がありますよ。
今、40代のおばさんでも、
スイスのアーミーナイフの一番小さいのは持ち歩いてるもんね。
ハサミしか使ったことないんだけど。

ADHD不注意型の描写として、素晴らしくリアルだ~。

そう、夫に話したら、お腹抱えて相当長い間笑いやがった。
そこまで笑うことないでしょっ、(`ヘ´) プンプン。

●全国基本送料無料!/発売日前日出荷野ブタ。をプロデュース DVD-BOX (本編4枚+特典DISC)

| | Comments (79) | TrackBack (0)

December 13, 2005

自閉症スペクトラムの人を主人公に描いた本

日本シャーロック・ホームズ・クラブの関西支部
仏滅会の会報誌、『West End Journal』への投稿を改訂したもの。

『夜中に犬に起こった奇妙な事件』
マーク・ハッドン著 \1785(税込)早川書房刊

児童・青少年向け小説「ハリネズミの本箱」シリーズの一冊。

原題は
“The Curious Incident of the Dog in the Night-Time”
みなさんご存じの“SILVER BLAZE”
“To the curious incident of the dog in the night-time.”
「あの晩の、犬の奇妙な行動にご注意を」
ホームズのセリフである。

 このあと、「犬は何もしませんでしたよ?」
 「それがCURIOUSだというのですよ」と続く。

高機能自閉症のクリストファーは、近所の犬が殺された事件を
ホームズの方法をなぞって、犯人を捜そうとする。
が、捜査は彼が思いもかけなかった事実をあぶり出し、
彼もまわりの人々も変えてゆく。

数学や物理では高い能力を持っているが、
他人の感情やウソを読みとれない
自閉症の少年の手記の形を取っている。

自閉症特有のこだわりから、
章数はすべて素数、
唐突に数学の問題や天文学の説明の章が入り交じる構成、
文法的に正しいが、非常に硬い文章。

取っつきが悪いかもしれないが、
読了後は、感じ方・考え方・表現方法は異なるが、
自閉症の人々にも優しく豊かな感情があることを実感されることと思う。

訳者は『アルジャーノンに花束を』の名訳で知られる小尾芙佐。            

『僕の妻はエイリアン』
泉流星著 \1470(税込)新潮社刊

高機能自閉症の妻と結婚した夫、
その視点から、軽妙なタッチで描いたノン・フィクション。

この妻は言語能力の高いアスペルガー型の高機能自閉症。
ちょっと仕掛けがあるが、上記の本よりは軽いタッチで読みやすい。

この133頁から、ホームズばりの観察と推理で
夫の思考を読む妻のエピソードがある。
ただし、妻がこの能力を発揮出来るのは夫に対してのみだそうだ。
妻は小学校の頃からホームズ全集を読んでいたとある。

昨今、青少年の犯罪がらみで取りざたされることのある
「アスペルガー症候群」「高機能自閉症」「広汎性発達障害」だが、
本質はきまじめで誤解されやすい人々である。
ウソが見抜けず犯罪の被害者となる人も多い。
彼らの理解のためにも一読をお勧めしたい。

 

| | Comments (77) | TrackBack (0)

November 19, 2005

フジテレビの杉村大蔵押しにはうんざり

動いている画像を見ると
結構かわいげがあって華があるからね、
ごまかされちゃうけどね。


彼が言う
「衆議院議員もニートも紙一重」

あんなもん大嘘のコンコンチキだから
だまされちゃぁいけませんよ。


実家がテニスコートが何面もあるおうちなんですから、
働きたくてもどうにも動けない状態の
ニートとは全く違う。

あれをなんていうかっていえば

金持ちの家のドラ息子
そのものでしょう。

でも、自分の親のこと
テレビカメラの前で「おとうさん」と呼んではばからないから、
「noblesse oblige(ノブレス・オブリージュ:人より高い位に生まれたものは、
 下々の幸せに責任があるって考え)」なんてものは
教え込まれていないに違いない。

某都知事も対談で言っていたっけ、
「高校時代にしばらく学校へ行かなくなったことがある。
 今時の不登校とは違って、学校以外には出ていたが・・・」

  「・・・」以下のアホくさい顛末は
  ここで読んで下され。

読んで下さるとわかるけど、
当時の彼も杉村大蔵と同じ立場ですな。

スケールの違いはあるけれども
同じような素質を持つ訳。


その素質が何かってのは、
国会議員を精神分析する国会議員を精神分析する』この本にあります。

国会議員、特に子どもの頃から議員になりたいとか
親が議員だったってなひとは、
自己愛性パーソナリティの傾向を持つ。

一見、自分大好きで自信家で押し出し強いんだけど、
本当の自己評価は非常に低い。

端的に言うと牛のマネして
ふくらんでいったカエル
みたいなもの。

よっぽど有卦に行ってない限り、
自分が常に不当に扱われている感を持っている
不幸な人々。

とはいえ、11月15日のよき日、
新郎の上司として乾杯の音頭を取った都知事、
自己愛がこの上なく満たされて、
最高に幸せな日であったろう。

| | Comments (83) | TrackBack (0)

マクベス@近鉄劇場

2002年11月10日(日)午後1時開演

蜷川演出って鬼面人を驚かすってのが特徴であるが、
この唐沢大竹マクベス夫妻は説得力があった。


この二人は熱烈に好き合ってて、
それでいてかけがえのない同志なのである。

お手々つないで退場したり幕がしまったりが五度、
熱烈に抱き合う回数は数知れず。


大竹しのぶのマクベス夫人は、
マクベスの野心を必死で支えようとして
自分の方が先に押しつぶされてしまう。

乳房に吸い付く赤児でさえひっぺがして脳天をかち割ってくれよう
と宣言する彼女は鬼女が取り付いたかのようだったし、
血が手から洗い流せないと付くため息は、
隠れ見している医者の評する
「こんな悲しいため息は聞いたことがない」、
まさしくその言葉の通りだった。


唐沢寿明のマクベスもよかった。
 家来を足でけっ飛ばすのは王者の品格としてどうかと思うが、
 それは演出家の意向だし。
夫人の死を聞いての表情とセリフは胸を打った。
射られた白い小鳥のように城壁から落下する姿が目に浮かんだ。

鼻をすする音もあちこちで聞こえたから、私だけが感情移入した訳じゃない。

それに続く人生を蝋燭と役者にたたえた有名なセリフも聞かせた。


この夫人の死への感想、訳本の解説を読むと
従来と全く逆の意味の訳になっているそうだ。

従来は「その知らせを聞く心構えは出来ていた」みたいなことで、
今回は「(なにも)今死ななくてもよいものを」と。
イギリス人演出家の演技指導を見ていてそういう解釈もできると
翻訳者は初めて気づいたとのこと。従来の訳し方も誤訳ではないが。


この半身を割かれるように哀切な解釈は、翻訳者が気づいていた、
マクベス夫妻の一心同体ぶりにぴったりと合致した。

まず、シェイクスピア劇の内ファーストネームが
不明なヒロイン
レイディ・マクベスただ一人。

また、国王暗殺に躊躇する弱気なマクベスの「もし、失敗したら?」の主語は
なんとWeだって。それに対してマクベス夫人は「私たちが失敗するですって?」
とやはりWeで受ける、自分の意志は存在しないかのように

二人は運命共同体。マクベス夫人は自分がクィーンになりたいのではない
愛する夫マクベスをキングにしたいだけなのだ。

自分の野心のために夫の尻を叩いているのではない、
よこしまな大望を抱くにはあまりにもまじめで良心的すぎる
気弱な夫の裏打ち布になっているだけ。


だから、宴会の席で幽霊を見たとおびえるマクベスの言動を
取り繕う大竹しのぶは必死だった、

いかにもいい奥さんが旦那さんの失態を口一つで丸め込もうと
背伸びして声を張ってがんばっていた。

彼女は夫を支えようとがんばって自分の方がぽっきり折れてしまった。
夫を愛することにかけては人後に落ちないが、
そういうごく平凡な女だった。


その解釈で行くと大竹しのぶの華奢で平凡な容姿、
少し子供っぽいしゃべり方はこの演出にうってつけだ。

イギリス人演出家の時の麻実れいよりずっと。

麻実れいはいわゆる世の中一般のマクベス夫人のイメージ通りの人だろう。

豊かな黒髪、背が高く、存在感と癖のある美貌。
大竹しのぶと外見からは正反対。

麻実れいのマクベス夫人と
これまた腹に一物ありそうな松本幸四郎のマクベスでも
やっぱり夫婦愛の物語になったのだろうか?


唐沢寿明がまた知的で誠実そうな好青年、
白のイメージだから、マクベスには一見ミスキャスト
(このあと、財前五郎をやってるけど、マクベスの成功をふまえてると思う)。

それを逆手にとって、稀代の悪人が起こした謀反ではなく、
悪事には無縁と自分でも思いこんでいるむしろ良心的な人間
毒の予言を耳にそそぎ込まれたとき、野心にとりつかれ、自滅していく。

マクベスの犯罪は我々の犯罪、というのが、蜷川演出の解釈だろう。


等身大のマクベスだから、夫人が支えなくては悪事に踏み出せない。
裏表引き剥がせないほどに支え合ってきた二人だから、
形勢が悪化してきたとき、夫人が死んでしまったのは、
半身を割かれたほどにマクベスにはこたえたはず。


・・・今、死ななくても・・よいものを・・・。

そのときの声と表情を思い出すと今でもぞくっとする。


    ~*~*~*~

で、あとは思いついたことをパラパラと羅列。


どうしてテレビ育ちの主役二人のセリフが一番通るのかしらね?
主役二人は大声で怒鳴っても早口でまくし立てても全部聞き取れるのに
あとはほとんど全滅。

バンクォーの六平氏、普通のセリフはよく響く深い声なのに
ガナると全くわからん。
魔女の返事からこう言ったらしいと推測したぐらいだ。

 しかし、彼が血塗れの幽霊で出てきたの怖かったぞ~、
生きてても水死体みたいな顔なのに、
あまりの怖さに客席から笑いが漏れちゃった。

歌舞伎の注進にあたる戦場の様子を伝える役の若手なんか
最初から最後まで何言ってんだかわからん。
喉で叫ぶから声が割れてしまう。

注進は儲け役だ、ここでいいとこ見せて、
もっといい役をもらうためのステップにしなくてどうする。


マクダフがどうしても勝村正信に見えないなぁ、おかしいなぁ、
TVで知ってる顔よか平井堅に近いと苦しんでいたら、休演の代役だった。


舞台は蓮の生えたところ、地獄なのか極楽なのか。
衣装は忘れちゃったなぁ。ちょっと着物風なとこがあった。


大竹しのぶのカーテンコール
 とメモってあるがなんだったか忘れました。
素の彼女は子供っぽく無邪気にかわいらしい。

    ~*~*~*~

このあと『情熱大陸』を見た。この劇をアメリカに持っていくまでの
ドキュメントを唐沢中心に取り上げていた。

彼は下積みが長く、『仮面ライダー』のショッカーの役もしたことがあるそうだ。

ショッカーの役でも芝居が出来ることがうれしくて一生懸命やったと。
 今なら「顔」ですぐ仮面ライダー役につけるような気もするけど。
下積み時代になにくそと練習したことが発声の違いに出ているのだろう。

周りの団員に気を遣うこと遣うこと、
絶えず気配りしている感じ、
多分AC。

同じくACなのかなの山口智子とはうまく行ってるらしく、
楽屋で肩たたきハンマーを取り上げ、訊かれもしないのに
「これは山口智子がいつもこうやって肩叩いてるヤツ」
なんて笑うのが微笑ましかった。

| | Comments (432) | TrackBack (0)

November 15, 2005

うわぁ~ビックリした

なんと、なんと

私のかなり近しい知人、夫の友人が

あの、バウリンガルやドクター中松も受賞した

イグ・ノーベル賞をもらっていたんですぅ。


本人の口から聞いたことなかったなぁ。
「バウリンガル」が受賞して、タカラの人が授賞式に行って、
日本のマスコミにも取材されて、賞が有名になる前だから、
本人結構ショックを受けてたりして。

マジメな研究論文なんだよ、
ちょっと面白いというか楽しいんだけど。

遅ればせながらおめでとうございます。

| | Comments (308) | TrackBack (2)

October 22, 2005

まぁいろいろ

開業して、今まで付き合いのなかった
教育現場や警察の人々としゃべる機会も結構あった。
 病院にいても関わることは出来るけど
 逃げられる限り逃げていたんで、私は。

しゃべってみて思うのは、
なんかその世界の独特の常識みたいなもんがあって、
その閉じた世界の中で問題を解決してしまわないといけない
って思いをすごく感じる。

裁判記録なんかでも、裁判長の常識ってのはみんなそうだ。

で、まぁ、落としどころは医療業界もそうだよね
ってことになるのであるが、
患者さんとしてつきあってる、
公務員とか一流サラリーマンとかも、
それから、ごく一般的に暮らしてきた専業主婦の奥様も
みんなそれぞれ自分らの常識、規範の中で生きてる。

それが、世界のすべてだと信じて。

なんで、自閉症スペクトラムも
そういう閉じた常識、規範の文化と考えることも出来る。

お互いの文化を尊重しつつ、違った常識の世界のことも知って、
みんなが暮らしやすい世界が出来るといいなと思うんだが。

| | Comments (32) | TrackBack (0)

September 28, 2005

ADHDってどんな人/期限が迫らないと手に付かない

ず~っと半月くらい他に手が着かなかった
発表が終わったんだが、落ち込んでる。

風呂敷を広げすぎです。しゃべり出してから、
「この人たちの基礎知識とかどういうこと知りたいのか
わかってないわ、ワタシ・・・」と気付いた。

それくらい、もっと前もって聞いておかなきゃ、
なんだけども、最初の話から3ヶ月、全然連絡がないんで、
昨日こっちから電話かけたらどうも忘れられてたらしい。
忘れるんなら依頼すんなっっ!!!と電話切ってから叫んだ。
おまけに送られてきたFAXの地図、ものすごく古かったし、
自動車が入れない道は×しておいてくれ。

その後逃避のため、行った大型書店で、
今日のネタ本にぴったりって本を二冊見つけた・・・・。
これがあれば、もっと自信持って話が出来たし、
昨日今日の午前とあんなに呻吟することもなかったのに。

話は三ヶ月前からあって、一ヶ月前くらいから気にかけて
本など読みあさってたけど、レジュメ書き始めたの金曜からだもんな、
それも、ソリティアに逃避しながら書いた・・・。
ソリティアを完全にやめたのは今日の昼前だった。
「やだなぁ、どうしよう」と思い悩みながら、
ソリティアしてても全然楽しくないんだけど。

アメリカじゃぁ、ADHDのハンデを埋めるため、
大学のレポートの期限とかのばしてもらえるらしいけど、
それって、ワタシの場合、のびた期限の直前までしないと思うわ。
クルシミの期間が長くなるだけなんで、
そんなのちっともうれしくないなぁ。

ワタシとしては、ソリティアしてるとき、
ちょんちょんと肩をつついてくれる人をつけて下さると
とてもとてもありがたいです・・・・。

今日あったらよかったのにという本
『子どもの「心の病」を知る』岡田尊司 PHP新書 ¥880+税
『心のクセを変えるコツ 自分で出来る"認知療法"エクササイズ』
 姫野友美 大和出版 ¥1400+税

『ぶっせん』、返本が時々出るようで、やっと全巻揃えた。それは今日○!
今見たら、また6巻が在庫切れになっていたので、アフィリエイトあきらめ。
雲信先生好きだわ。ウワサに違わぬ盛り上がりだった、満足。

| | Comments (485) | TrackBack (0)

September 19, 2005

『スワン・レイク』@フェスティバル・ホール

2005年3月19日(土)午後1時開演の部

ゴメン、以下完全ネタバレしてるうえに、主観は入りまくり、
おまけに段取りを覚え間違えている可能性ありです。
でも、ネタバレを読んじゃっても見に行く価値はあります。
今回と少しストーリーが変わってるけど
DVDもあるんで、何だったらそちらをお先に。


そもそも数年前、夜中にNHK-BSでたまたま見た。
第二幕の後半から。


目が点になった。

音楽はまぎれもなく『白鳥の湖』なのに、白鳥が全部男!

おでこに黒い線を入れ、上半身裸、腰から膝まで白い羽で覆われている。
男だけど確かに白鳥。羽ばたきや首のふりかたがまさしく鳥だ。

王子は白鳥のリーダーに魅せられ、ともに踊る。
うむむ、男同士でパ・ド・ドゥですか・・・。

第三幕、宮廷舞踏会、このときは'30年代の設定かと思った。
そこへ男オデット、カッコイイにぃちゃんとして来る。王子喜ぶが、
これがオディールなのかしらってなコケットリーな美女に取られる。

黒鳥の36回転の音楽で男オデット、オディールを振り回し、
オディールは回りながら、テーブルにあがったり降りたり、
フィギュア・スケートだったら上を下へのデス・スパイラルみたいな大業を連発。

王子、嫉妬に錯乱して女を撃とうとする。取り押さえられて幕。

第四幕どうやら精神病院の一室。
怖いお医者さんと看護婦さんたち、
婦長さんはさっきのオディールみたいなんだけど・・?
王子はベッドに横たえられる。

ひとりになるとベッドの下から白鳥たちがうじゃうじゃとわいてくる。
アルコール性の幻視かしらね。
わいてき方がなんだかリアルでコワい。

と、羽根枕のあたりから、男オデットが出てくる。
なにかオキテ破りをしたらしく、白鳥たちは王子と男オデットを攻撃する。
男オデットは羽根枕に押し込められて消え、王子は絶望して死ぬ。

婦長が王子の遺体を確認して嘆く。
が、枕元の上に男オデットと王子(代役)がポーズを取ってせり上がって浮かぶ。幕。

「う~~ん、『前衛』だなぁ」と思ったんだけど、
途中から見たので、肝腎なとこ、決定的に読み違えていました。
オディールと思ったのは
なんと王子の母の女王陛下だったのです。


虚心坦懐に原作を考えてみりゃぁ、
ジークフリート王子、確かにマザコンでさびしいお子なんだよね。

村娘たちと戯れてるとコワいおっかさまがいらっしゃって、
「明日の舞踏会で結婚相手を絶対決めるんですよっ」てにらむしさぁ、
気晴らしに友達と森に出かけたのに
その友達は途中で行方不明になっちゃうしさぁ
(ホントにあの人どこ行っちゃったんでしょうか?)。

どうしようもない運命を嘆くオデットに「たまたま」出会って、
「ボクでも助けてあげられるの?あなたと永遠の愛を誓えばいいの」って
喜んじゃって、そんで挙げ句の果てに人違いしてりゃぁ、ザマァねぇよナ。

んで、ゴメンなさいと結局死んじゃうんだし、ナサケないったらありゃしない

(リラの精の計略にはまったとしても)自ら冒険と美女を求めて
いばらの城に乗り込んでいった『眠りの森の美女』の王子とは違うんである。

ナサケない路線の王子をとことん突き詰めてみましたら、こうなりましたって演出。

それと本物の白鳥、とってもコワイんだそうだ。
ウチの母が餌をくれると勘違いした白鳥に囲まれ、
くれないとわかるととたんに攻撃態勢になって、突っつきに来るは、
バタバタはばたくはで、命の危険まで感じたと言ってた。

演出家マシュー・ボーンはそんなところから思いついたんだろうね。

1995の初演前には、ゲテモノ扱いされ、非難囂々だったそうだが、
数年前には、王室から勲章ももらっている。
英国王室を明らかにパロってるのになんてお心が広いんでしょう。


で、私の見損ねた序幕。王子のさびしい幼年時代。
オペラ・ハウスへの到着。このあたりから見た。
長じてガール・フレンドが出来るものの、王妃にふさわしい教養のある娘ではない。

クィーンは鬢に白いものが混じる年齢ではあるが、
完璧に美しく威厳のある姿、
それに加えて、若い軍人たちを目だけで落とすほどの色香も持ち合わせている。

 ウチの母親、『徹子の部屋』で見た「グラン・ディーバ・バレエ団」と
 混同していて、「男には見えないほど美しいね」と言いました(=.=;)。
 あたしゃ、イスからずり落ちそうになったわ。
 周りの人に聞かれてませんように。

王子、あ、日本人の首藤という人だ。
素顔のお写真だとすっとあか抜けてらっしゃるんだが、
うーん、ヨーロッパ系の軍服の中に混じるとねぇ、
女王(9cmくらいのヒールはいてる)より小さいし、でも顔大きいし、
親子に見えないし、ナイティナインの岡村を思い出してしまう、ゴメン。

ガール・フレンドも貴賓ボックス席に入れて、劇中劇のバレエ鑑賞。

 原作では王子の友人と村娘二人が踊るパ・ド・トロワの音楽の部分。
 19世紀前半風、腰に小さな羽を付けた長めチュチュのロマンティック・バレエ。
 おうぎょうなメークとパントマイム。
 元は背景の城のお姫様だったらしい蛾の乙女とおつきの蝶や蛾四人。
 ズボンつりに半ズボンのチロル風の木こりが登場。

「ごつい男が半ズボン!」とガールフレンドは大きな声でケタケタ笑う。
この娘、ケータイは鳴らすはバッグは落っことすはマナー違反続出で
女王はもうカンカン、王子は隅で小さくなっている。

 初めは捕虫網を振り回していた木こりだが、
 蛾(なぜか蝶でなく蛾)のお姫様と恋に落ちる。
 と悪魔がやって来て仲を裂こうとする。木こり戦うが負けそう、
 と蛾の乙女、木こりの斧を取り上げ、悪魔の胴にたたき込み、

  「つよぉ!キーラ・ナイトレイか!」とうちの母
 悪魔けいれんして絶命。
 木こり、悪魔の死体を引きずって退場。
 蛾の乙女、斧を片づけようとするが、重くて持ち上がらない、
 さっきのは火事場の馬鹿力だったらしい。
 みんなでめでたく踊って幕
 のはずが、蛾の乙女、突然痙攣して倒れる。バタバタの内に幕。

劇中劇のカーテンコール。

 オリジナルの「白鳥の湖」的ストーリーをここで見せる。
 結局、男は何もせず、ヒロインががんばったこと、あとで利いてくる。

女王陛下が帰るとき、おつきの連れてくる犬は耳のとんがった脚の短い犬。

 母「コーギーってのがケッサクよね」、
 あぁ、そうか、この女王陛下、エリザベス二世のあてこみか。
 コーギーは彼女の愛犬として有名だから。
 プログラムによると王子もはっきりチャールズ皇太子がモデルで
 指輪をいじるクセまで真似しているそうだ。

場、換わって王子の私室。
鏡の前で軍服を脱いで酒をあおる。自己嫌悪に浸っているらしい。
女王、入ってきてとがめる。
口論の内、激情に駆られて、女王を押し倒すが、抵抗され未遂。

 強姦未遂だけど、ちゃんと優雅にバレエになってて、
 なおかつ緊迫感もあるんだよね。

女王は何事もなかったかのように、鏡の前で着衣の乱れを直し、威厳をもって退室。
よけいに落ち込んだ王子はガールフレンドのいる下町のクラブへ。

 「乾杯の踊り」のあたりが違和感なく現代風俗のクラブのダンスになってるのだ。

彼女には相手にしてもらえず、酔って暴れて、パパラッチに写真を撮られる。
その上、ガール・フレンドが嬉々として手切れ金を王室執事から
受け取るところを見てしまう。ここで、「白鳥の湖」のテーマ、
紗のうしろに羽ばたく白鳥がうっすらと見える。第二幕へ。

公園の池の前。白鳥が泳いでいくのが見える。
街灯に「白鳥に餌をやらないでください」と。

王子は遺書を走り書きし、入水のため、池に向かって走り出すが、
ザ・スワン(主役の白鳥)に阻まれる。

 音楽はいわゆるあの「白鳥の湖」で一番有名な
 「ジャーン・ジャジャジャジャジャーンジャジャーンジャ・
 ジャーンジャジャジャジャジャン」というあれ。

王子はその白鳥に何か運命的なものを感じて追いかけ、
その白鳥は当たり前だが人間に追いかけられると逃げる。
追う王子を他の白鳥の群が阻む(首を振り立て、羽を逆立てての威嚇のポーズ)が、
ザ・スワンも次第に王子に慣れ、距離がせばまってくる。

考えてみれば、これはオデットとジークフリートでも同じだった。

王子は白鳥の踊りを真似始める。
最初はぎこちなく、テンポもずれているが、
ザ・スワンが教えるかのように近づいて、パ・ド・ドゥとなる。

この辺で「四羽の白鳥」。
うちアタマを黒く刈り残している人が二人なので、
ヒナや中ビナを表しているのかも。
さっきの白鳥たちの踊りはワイルドで力強かったが、
こちらはバタバタしてコミカル。

 ここに限らず、一幕あたりでは結構笑い声の響く、バレエとしては珍しい舞台。

王子は完全に白鳥たちにとけ込み一緒に踊る。
生きる気力を取り戻した王子は遺書を丸め、
餌やりするおばあさんに抱きつき、喜んで帰る。
首をひねるおばあさん一人になったところへ幕が下りる。休憩。

 ロットバルトが脅す音楽でおばあさんが出てくる不思議。

 「プログラムを買わなわかれへんわ」という会話を耳にしたけど、
 そんなにむずかしいかなぁ?DVDも買った。
 これは'96の舞台なので、たぶんBSで見たのとおなじだろう。

幕が開くと王室舞踏会。
各国王女がエスコート連れで次々にご到着。

 ここで執事が連れてきたのが一幕目のガールフレンドなのかがわからない。
 それとイタリア王女のエスコートが執事のアンダースタディなので、
 執事と同じスキンヘッドでこれまたややこしかった。
 これがのちに私の失敗につながるのだが・・。

女王は王子に王女らと踊るようにいうが、
王子は女王の顔色ばかり見ているので王女らは退屈してしまう。

ひとりしきりに王子にモーションをかける女性がいるが、
その気になれない王子は女王をパートナーに宮廷のダンス。
上流階級は上半身上品に腰から下は淫乱にってな踊り。

スペインの踊りは王女とエスコートたち多数、これは普通にスペイン風に。
ナポリの踊りは、王女が他の男たちを誘惑するのでパートナーが気をもむ。
このとき女性がテーブルの上、男たちが周りを囲むシーンがある。

 これ、映画の『あしながおじさん』?こないだTVでたまたま見た。
 マシュー・ボーンはアステアのファンだと書いてあったから多分そう。
 『あしながおじさん』ではジュディの夢のシーンだから
 それ自体が何かのパロディの可能性もあるけど。
結局は仲直りして踊りなおし。

そうこうするうちに一人の男が遅れて入ってくる。
宮廷舞踏会には場違いなワイルドな雰囲気をただよわせた見知らぬ男だが、
王子にはあの晩のザ・スワンに見える。

見知らぬ男「ザ・ストレンジャー」は
たちまち王女たちのハートをつかみ次々に踊っていく。

王子がそうありたいと思うように、ストレンジャーは行動し、
王子が成し遂げたいことをいとも易々と成就してしまう。

王子は彼と話そうとするが、チェルダッシュが始まる。
王子と男はそれぞれのパートナーを相手に踊るもののお互い意識し対抗している。
前列に二人が並ぶポジションは第二幕の再現となる。

その後、ストレンジャーは女王と二人で踊るが王子の前に来たときに
女王は退場して証明が青くなり、パートナーが王子に入れ替わる。
 これはDVDでの確認なので段取りが今回と同じかどうかはわからない。
おずおずとしたパ・ド・ドゥ。彼は額に黒いスワンの印を
引いて笑いかけ、スワンを踊る。リードする方が交互になるタンゴ。

細かい段取りを忘れたけど、男と踊ってるところを見られ、
王子は出席者の笑いものにされる。

舞台中央で倒れ顔を覆う王子を率先して笑うのは女王とストレンジャー。
下から赤いライトが当てられ、まがまがしい陰が舞台を覆う。

 これは王子の心象風景。笑ったのはごく一部の人で
 女王は笑ってはいないのだろうと思うけど。

打ちひしがれる王子の目の前で、女王は王子に当てつけるかのように、
二人で、最初に書いたテーブルを使っての36回転代用の大技。

 二階から見たせいか、BSの時ほどすごくなかったなぁ、
 技量やその日の出来ってものがあるのかも。
 あとで見たDVDで男性がテーブルに片足をかけてるのが見えた。
 女性はその上をリフトされて飛び越えている。
 DVDは撮ってる角度もよくなくって、
 BSのが一番すごかったような気がする。

いちゃつく二人に割ってはいる王子、
女王は衆人環視の中、王子の頬をひっぱたく。

逆上した王子は銃を取り出す。

ストレンジャーは完全に女王に取り上げられてしまった・・・
 ということだと思うのよ、お母ちゃんを取られたってことじゃなくて。
 王子が銃口を向けるのはストレンジャーでなく女王だから。
 やっと見つけた自分らしい生き方をも
 また女王に取り上げられてしまったのだから。

女王を撃ち殺そうとする王子を見て、執事は躊躇なく王子にねらいを定める。
場内は当然騒然なわけで、
さっき、モーションかけていたの女の子は止めようと
王子の右腕に武者ぶりつくので、執事が放った弾は彼女に命中し絶命。

 このとき私、「この子、一幕のガールフレンドなのかしら」と
 オペラグラスで彼女の顔を見ておりましたので、
 これで王子と女王とストレンジャーと執事のリアクションを見損ねております。
 ストレンジャーは自殺しようとする王子の銃を
 殴って取り上げたんだと思うんだけど。

王子は警備隊に引きずられて退場、息をのんでる観客の前に幕。

 執事が黒幕なのか、ストレンジャーを舞踏会に呼んだのはこいつか、
 とすると執事がロットバルトだったのか。
 殺される女の子は振る舞いからガールフレンドとは違うような気がするけど、
 同一人物(DVDの設定では間違いなくそうだが、
 今回はそう不作法ではなかったのだ)だとしても
 そんなに大きな問題ではなさそう。
 それよりストレンジャーの行動を見る方が大事なのにぃ、う~、バカバカ。

で、第四幕。パジャマ姿の王子、白い壁の前に立つ。ドアが一つ。
高いところに鉄格子のはまった小さな窓がある。
届かない、届くわけがない。

 最初に精神病院だなんて書いたが、王宮の一室なんだろう。
 英国19世紀初頭を「摂政時代」と呼ぶが、
 なぜ摂政が立ったかといえば、時の王が発狂していたから。
 英国王宮のどこかには興奮状態の王が暴れても
 けがをしないための厚いコルク張りの部屋があるはず。

白い服を着た女王が訪問する。
いかめしい白衣の医師はさっきの執事そっくりだ。
看護婦も何人も来る。看護婦は女王のまがい物のよう。
彼らの影が白い壁にのびる。

看護婦たちは王子を抱えあげ、
医師は王子の頭の上で手術のような手つきをする。

 ロボトミーなんでしょうか?
王子はなされるがまま、舞台奥の巨大なベッド上に運ばれる。

王子が一人になると、白鳥たちがわいてくる。
ベッドの下から三羽、脇から二羽ずつといった風に。

王子は白鳥たちを見て喜ぶが、どうも雰囲気がおかしい。
白鳥たちはなにやら敵意を持っているよう。

王子はザ・スワンを探し、ベッドを降りる。

と、ベッドの羽根枕の間からザ・スワンが孵化するかのように現れる。
脇腹と肩に傷を負っている。

王子は駆け寄るが、そうするうちに戻ってきた白鳥たちにひきさかれる。

白鳥たちは王子を囲んでつつきまわす。
丸くなって身を守る王子。
ザ・スワンも王子に翼を差し出すが、白鳥たちの攻撃を受ける。

舞台中央で奥のベッドに立つザ・スワンとベッドの下で倒れる王子と
お互いに手を差し伸べあうが、それを阻む白鳥たち。

 ここで思いも寄らないことに私突然目頭が熱くなってしまった。
  音楽は第四幕のクライマックスの音楽なわけ。

 王子にとって「ザ・スワン」は、
 「恋人」「あらま欲しき男性像」であるのみならず、
 命に代えてでも自分を守ろう抱きしめようとする
 「母親」でもあったのだと気づいたから。

白鳥たちはザ・スワンを制裁しようとする。

傷ついても傷ついても王子の方へ向うザ・スワン、
何羽ものくちばしでつつかれ、集団リンチの有様。
王子はそれをおののきつつ見てるだけ。

 バカーーーー!
 そんなに大事な人が苦しんでるんだ、
 おまえも自分の足で立ち上がって、及ばずながらも助けに行けっ!
 誰かに助けてもらうのを待っていてもダメだ。
 理想の男に近づきたいなら、立てっ!
 自分がうごかなきゃ、何も変わらない、
 今の自分がイヤだったら、立って白鳥たちに飛びかかれ!
 助けにいって結果二人とも殺されても
 大事な人を見捨てて生き残るよりいいじゃないか。
 「助けを待っているおひめさま」のままでいいのかっ!
 一生「何もできない孤独な子供」でいるつもりかっ!立てよっ!
 ザ・スワンは傷ついても苦しんでもおまえの方に進もうとしているのに、
 あんたはそこで座ってるままかっ!それでいいのかっ!本当にそのままでっ?

白鳥たちが満足げにベッドを降りたとき、
ザ・スワンの姿はどこにもなかった。

白鳥たちはベッドの下へ消える。

王子はベッドの上に戻り、絶望して息絶える。

女王が部屋を訪れ、王子の死を知り号泣して抱きしめる。
枕元の窓に子供の時の王子を抱え上げるザ・スワンの姿が浮かび上がる。

 カーテンコール。ザ・スワンのジェイソン・パイパーって人は
 結構小さかった、踊ってるときは大きく見えた。
 ロビーで流していたCMで今回抜擢されたと紹介があった。
 首藤さんは演技もすごくうまかったと思うの、後ろ姿に泣かされたから。
 バレエのテクニックのことはよくわかんないんだけどさ。
 でも、どうしても岡村が消えなくって・・・、ファンの人ゴメン。

王子は、親にスポイルされちゃったニートや引きこもりの人たちと
共通したところを持つ。
いつまでたっても親が絶対で親を越えることが出来ない。

親の期待に応えるよい子でないと愛してもらえないと思い込んでいるから、
自分のことは役立たずのいらない子と思いこむ。孤独きわまりなかった。
それでいてこうあらまほしき自己像ってのは実現不可能なほど完璧なんだよね。


DVD見ました。これは映画的な処理も使っているので、
NHK-BSでみたのとは違っていた。DVD-BS-今回の舞台の順のようだ。

序曲。
大きなベッドに子供の時のパジャマ姿の王子が
スワンのぬいぐるみを抱えて眠っていると
窓にザ・スワンの姿、つまり夢が現れるって、
ラストに呼応した演出だったんだ。

このとき、女王は抱擁を求める幼い王子を拒否してる。
王子は死んでからでないと抱きしめてももらえなかったわけだね、母親に。

女王も自分の理想通りでない息子の愛し方がわからなかったけど、
愛してたんのはウソじゃないんだよね。


演出は細かいとこいろいろ、変わっている。

DVDの蛾の乙女は見かけによらず力持ち設定だったし、
ガールフレンドは今回の方が不作法さがわかりやすくなっていたり。

DVDでは王子は母親に甘えたかっただけのようにも見えるんだけど、
今回ははっきり押し倒してたわ、私の考え過ぎじゃないと思う。

一番大きい変化は第三幕のザ・ストレンジャーの設定。

DVDのあらすじ(英語版。日本語版は内容が結構違うし、
そもそも'Queen'が「王妃」と訳されているから、信用する気になれない)には、
「ストレンジャー」の呼び名はなく、
執事フォン・ロットバルトの息子で女王と結婚予定ってはっきり書いてある。

完全に「男オディール」なわけ。

ロットバルトは王子を亡き者にして、息子を女王と結婚させ、
王国乗っ取りをはかる大悪人(仁木弾正やね*1)なのである。

三幕幕切れで男オディールと二人顔を見合わせ、呵々大笑していた。

 *1仁木弾正(にっきだんじょう):歌舞伎のお家騒動もので一番有名な悪家老。
                ネズミに化けるなど妖術をも使う。

 これは今回演出第三幕幕切れを私がちゃんと見ていないので、
 もしそこでストレンジャーが執事と「してやったり」と笑ってたら、
 以下書いてあることは私の完全な深読みしすぎです。
  私の感じでは、幕切れのストレンジャーは王子の銃を取り上げたあと、
  やや下手よりの舞台前方で「なんてこった」的にイライラとしていたと思う。
  女王や執事はどうしていたか全くわからない。

これ、今回の方がいい。初演時はそれでも原作に縛られていたのね。

今回の執事は大悪人ではなく、あくまで女王大事の忠義者、
女王陛下に危害を与えるものはたとえ王子であっても排除するのだ。

ストレンジャーは現実的には人間なんだろうけど、
王子のファンタジーの中では、
ザ・スワンが人間の姿をとって宮廷に現れ、
王子がそうなりたいと思っていた振る舞いをし、自分とも踊ってくれた、

そして、彼がもっとも望んでいたこと「女王を男性として魅了する」まで成した。

 だから、今回は第一幕で母親強姦未遂なんだ。

 そうよねっ、これでぴったりパズルのピースがはまる、

 もし、今回もストレンジャーと執事が目配せしていて、
 私の解釈が妄想なのなら、
 「次回公演からはこっちの演出を使いなさい」
 って宣言しちゃってもいいくらいじゃないのさっ。

が、彼は自分の感じていた以上にザ・スワンに魅了されていたので、
嫉妬のあまり、二人の間に割って入った。

ザ・スワンが人間界を訪れたことは
白鳥界の掟を破ったことになるのだろう。

これは王子には思いも寄らなかったことで、
これは単に王子の想像の世界じゃないのかもな。


3つの点で今回の演出の方が優れている。
 アダム・クーパーの男オディール、色悪*2でむっちゃカッコイイけどね。

 *2色悪(いろあく):歌舞伎の役柄。二枚目の作りで無慈悲なことをするキャラ。

まず、ストーリー全体を操る大悪人が他にいては、
完璧な女王の素質を持つため、そうでない息子を最後まで理解できなかった
母親の悲劇性と悪役としてのスケールが下がってしまう

王子の悲劇は、悪人に陥れられたものではなく、
親子関係に起因する性格悲劇であるべきである。

 つまり「曽根崎心中」から「心中天網島」*3への深化なんだな。

 *3:どっちも近松門左衛門の心中ものだけど、
   心中の原因が他人のせいから自分のせいになってるってことです。

もう一つ、
今回の演出の王子は愚かではあるが、
原作や初演解釈の王子とはちがって
赤の他人を愛する人に見間違えるようなことだけはしないのだ。

三つ目、
今回の設定では、ザ・スワンが白鳥の掟を破って
王子に会いに行った
から、悲劇が起き、彼も制裁を受け、
王子と同じくお互いの同族からの攻撃を受ける立場となった。

だから、羽根枕から出てきたとき、既に傷ついている。

制裁を受けた身体で死ぬ前に一目王子に会いたくて来たのだろう。

DVD版では無傷だった。
だから、「男オデット」が攻撃されるのがやや唐突。
正気を失った王子の妄想なら、なんでもありかもしれないけど、
 専門家と言わせてもらえば、妄想って意外と何でもありではありません。
 硬直しパターン化したステレオタイプな貧困な想像力の産物です。
悪夢の恐怖に殺されるより、愛ゆえの因果応報って方がいいよねぇ。

今回の演出の方が絶対哀しいし美しい。

でも、DVDの「男オデット」の振る舞いもやはり泣きます。
首をすりつけて王子を起こそうとしたり、
死んじゃったと思っての絶望の表情とか。

DVDは映画的処理に凝りすぎて、ときどき見たいところが映ってなかったりする。
今度の演出の放送ないかなぁ。日本公演の二年前にやっちゃったかなぁ。

母が誘ってくれたから、キワモノ見るつもりの好奇心半分で行ったけど、
いや、全然キワモノじゃなかったです。

『白鳥の湖』は一番見てるバレエ、小学校の時、友達の発表会で二回くらいと、
中学でキエフとボリショイ、数年前、一家でロイヤル・バレエとで
計4・5回見たけど、泣いたことなかったもん。

これ見ちゃうと普通の演出は人間像の造形から見て、全然食い足りないだろう。
まだ三月で一・二月は長女の受験で見てないけど、今年のステージベスト候補。

 母の曰く「要するに白鳥が男になってるだけで、原作通りなのよね」
 ・・・いや、チガうと思うぞ、おかあさん・・・う~ん、
 キワモノでないっていうことを彼女は言ってるのか・・・そうなのか?


| | Comments (35) | TrackBack (1)

映画『TROY』

うちの近くでは2スクリーンでやってますよ。
「ロード・オブ・ザ・リング」の掲示板でオデュッセウスとヘクトールが
ちゃんといい役かどうか確かめたので、行くことに決めた。

オデュッセウスもヘクトールも
ズルイ奴や臆病者に脚色されることが多いから。

私とギリシャ神話のつきあいは星座に興味を持ってから。
小学校三年生だからホームズや歌舞伎や『指輪物語』より早い。

ラスト、
「あれ~、トロイはどうなるのぉ?
ローマへ流れていったアイネイアスの名前だけちらっと出て、
知ってる人はにやっとしたが、
パリスもヘレネも決着付いてないよぉ、
それでいいのぉ?」と思った。

が、じーっと考えてみるとあれは
「トロイ」ではなくて「アキレウス」って話だったんだな。

そう思うと終始一貫していた。
アキレウスという英雄が
名前を残すか人並みの幸せを取るかって、
色々あったけど結局こうなりましたって話。

ブラッド・ピットはワイルドでマッチョなので、
ワタシはパスだが、
そこがいいって人がたくさんいる訳だし、
アキレウスは原作ではれっきとした王子だが、
この映画では傭兵軍団の長で、
お品はいらない役になってたからワタシも納得。

ブラピの肉体美をこれでもかこれでもかと見せてくださって、
ワタシはもう食傷です。男のハダカなんか当分見たくないわ。

プリアモス王がヘクトルの死体を引き取りにゆく場、
ピーター・オトゥールはよかったけど、
「あれくらいのことで返すぐらいなら、
そもそも死体を引きずってズタズタにするようなことすんな」
とツッコミが入るのは当然だと私も思う。

あれは、ホメロスの歌った「イーリアス」では、
12日も毎日毎日、日課として引きずっていたのである。
 ホントなら何日も引きずるのは物理的に不可能だが、
 トロイ側に味方する神様がヘクトルの遺体を守っていたから。

最初は復讐の念でアタマかんかんだが、
一週間もすりゃ、そろそろイヤになってくる、
でも、イジでやめられない、
10日過ぎりゃ「ダレか留めてくれー」と心の中では叫んでいるが、
みんなアキレウス怒らせるのこわいし、
オデュッセウスあたりはわかってて、わざと留めてやんない。
12日目、ホントに心底イヤになってるところへ
プリアモス王が来たので、渡りに船とヘクトルの遺体をわたしたのだ。
プリアモス王もそのへんわかってて時期を見計らっていたのかもしれない。

この映画では十年にわたる「トロイア戦争」を二週間ほどに縮めているので、
上に書いたような心情的に浅いかのように解釈されてしまうとこがある。

十年も城を囲んでいると攻める方も里心がつくし、
思惑違いも表面化する、
アキレウスみたいに飽きてスネる奴も出てくる。

囲まれている方もヘレネのせいでとついつい思っちゃうし、
輝くばかりの美青年だったパリスも十年もたてば腹も出てくるかも。
ヘレネとパリスの間にもすきま風が吹いている。

その辺が二週間では全く綺麗事になってしまう。

でも、パトロクロスの処理はうまかったなぁ、
知ってるのにだまされちゃったもの。
夫の妹の旦那とそこのところで意気投合した。
彼は日仏ハーフ、外見は日本人だし、日本語ぺらぺらだが、
内側は典型的なフランスのインテリ。
「トロイ面白かった、
 ああいうのはヨーロッパ人にとって、よく知ってる話を
 どうアレンジして見せてくれるかってことだから」と言ってた。

この映画では、ヘレネのお姑さんにあたるヘカベをカットしていた。
学生時代、三越劇場に見に行った「トロイヤの女たち」では
ヘカベはキャサリン・ヘップバーンだった。そういえば、
プリアモス王のオトゥールとは「冬のライオン」でも国王夫妻役だったな。

オーランド・ブルームが弓の練習してるのにはワタシもウケました。

アキレスの副官、水色の目をした寡黙な男がかっこよかったですが、
パンフレットを見ても役者名が載ってません。

オデュッセウスのショーン・ビーンはとってもよかった。
短い登場場面の表情や動きだけで、
 頭がものすごく切れてアイデアマン、
 合理主義者ってか実利主義者、
 弁がものすごく立つ、たまに口が滑る、
 人格者なんかクソ食らえって思ってるけど、
 ヒヒ親父や人非人にはなりたくない、
 好奇心旺盛で、
 その好奇心が押さえられなくてしばしば墓穴を掘る
ってな性格が
 (ワタシがオデュッセウスはADHDだって言いたいのはわかりますね?
  書いてて、コイツは精神科医に向いてるなと思った。
  続編の「オデュッセイヤ」であちこちの島を回るのと
  患者さんの人生を聞くのと似てるんだ)
生き生きと描写されていた。

「ロード・オブ・ザ・リング」の掲示板でショーン・ビーンのファンが、
「(彼の活躍場面は)すごくおいしいんだけど、
 ところどころにちょびっとずつしかなくって、まるで豆ご飯」と書いてらした。
うまいこと言う。「ビーン」って「豆」のことだから、二重にウマい。
ワタシも「豆ご飯」のために廉価版DVD出たら買います。
二枚組はイヤです、ブラピのファンと誤解されたくないから。
豆の拾い食いをして、アタマの中で「オデュッセイヤ」を撮るだよ。

ヘクトルのエリック・バナはLotRのBBSじゃ絶賛の嵐だった。
ワタシだって彼がよかったし儲け役だったことは認めない訳じゃないのだが、
ヘクトールとアンドロマケーの夫婦は私が中学生の頃からの理想の夫婦なのだ。

アンドロマケーは、「トロイアの女たち」では、
そのころ一番好きだった女優のヴァネッサ・レッドグレイヴだったんだもん、
威厳と知性にあふれ、やつれていても美しかった。
あんなひぎれた背ばかり高い女なんて絶対拒否。

ヘクトルも理想の夫なので、顔が不満だし、王さんの格ではない。
それにいかにもウェートトレーニングで作ったあの筋肉はヤダね~。
なら、誰ならいいの?というとえっとえっと今はなんでもモーテンセン、
マチュリン先生さえモーテンセン
 だって全然別人になれる人だから、
 The Many Faces of Viggo Mortensenなんてファンサイトもある
なので、ヘクトールもヴィゴなら、とっても満足だったなぁ、いいだろうなぁ、
 とまぁ、
 ワタシがキャスティングに不満を言い出すと日本人なら片岡仁左衛門、
 白人ならヴィゴ・モーテンセンに話はオチるんだと予想しておき給え。

| | Comments (145) | TrackBack (0)

松竹座大歌舞伎 2004年7月

席は一階花道近く前から十番目くらい

『勧進帳』
「また仁左衛門は富樫ぃ、見ないよぉ、襲名興行高いしぃ」と言ってましたが、
團十郎さんが白血病で倒れたってんで、「白浪五人男」の日本駄右衛門が
片岡仁左衛門になったので、大慌てで申し込んだ。

新之助改メ海老蔵の弁慶、羽子板から抜け出たかのように美しい。

何年か前に仁左衛門の仁木での「床下」の荒獅子男之助は
荒事の力を見せてくれた(男之助って赤い顔したマヌケと思ってたけど、
超人的な力を持つスーパーマンとわかった)し、渡辺保の「歌舞伎ナビ」
(アフェリエイトしませんよ、仁左衛門完全シカトの本だから)で
初弁慶が絶賛されていたので、ちょっと期待はしてた。

うーん、米倉涼子と歩いていると超大型カップルで
いやでも目に入るというし、母が言うには、
「襲名のお披露目で見たとき、見上げる場所に坊主頭が通った。
それも草履履きだよ」(母は160cm足らず、
このとき、母も草履履きだが、女物は厚さ5cmくらいあるものね)つう話だし、
もっと大きく見えてもいいはずだが、そんなに大きく見えない。

目だって、お茶のCMではちょっとないくらい大きな目だ。
もっと目が効いてもよいはずだが、あんまり目力が感じられない。
横から見ると鼻と口の線が意外とお父さんに似ている。ちょっと猫背のとこも?

それでも乗り出して一生懸命みてた訳さ、私も面食いだし。
でも、山伏問答になるといやんなって背もたれにもたれちゃった。
富樫が真剣で切り込んでるのに、あっち向いて竹刀振ってるような弁慶だ。
おまけに四天王を押しとどめるときに腹の浅い入れごとをした。
弁慶って人物がすっごく小さくなっちゃう。

先月、勘九郎を見たとき、彼が力めば力むほどコミカルになってしまう、
でも、尊敬する孝夫兄ちゃんのように、
脚本を読み込んで、型からはみ出てもいいから、
人間を演じたいという彼の大まじめさは伝わってくるのである。
でも、仁左衛門のようには読み込めなくて、
なんかコミカルになってしまう。ちょっとカン違いなのだ。

だから、「歌舞伎ナビ」が仁左衛門抜きなのは、勘九郎に対する
「あんたの方向性はそっちじゃないでしょ」というメッセージなのかなと思った。
ヘンに考え込まずにまず形からやりなさいっていう。

でも、それは買いかぶりでした。
この弁慶が大絶賛なんだもん。甘やかすにもほどがあるよ。

でもまぁ、多少弁護してみると、海老蔵としては、
初演の時は無我夢中、再演は少し余裕が出来て
余計な計算をたてて失敗したってとこだろう。

てな訳で、12月の顔見世の「助六」は見に行かなかったが、
ここんとこ(これを打ち込んでいた'04年12月ごろ)
私の周りでは新・海老蔵をクソミソにけなすのがはやってる。

「子役の時から立ち姿が悪かった、役者の才能は子役の時からわかる」
「役者じゃなくてタレント」
「襲名興業の間に何の進歩もないので見切った」
「みょーなところがお父さんに似ている」
「なんか猫背」
「やっぱり若い人のより芸の力ですねー」
「のどつぶしそうな発声」
「基礎がなってない、菊之助とはそこんとこ違う」
「こんなんほめて甘やかしてたらアカンで」
「確かに美貌は美貌やけど+αのアピールするものがないわ」

なんて、私もみんなと一緒になって
「キレイなだけでは歌舞伎役者はダメなのよ」とけなしていると、
なんだか自分がすごい歌舞伎通になったような気がして、
自己愛が満たされてキモチイイのである。

あぁ、こんなちっぽけな自己愛のために
孝夫や玉三郎は若い頃ぼろくそ言われたくっていたわけなのね。

そう考えると二十五年ほど前の悔しさ恨みがよみがえってきて、
「それくらいなら、いっそ海老蔵をほめまくってやろうかしらん」
などと思うくらい私のへそ曲がりも病的だけれども、考え直してみるけど、
私、面食いだけど、大根役者を応援する気には到底なれないのだな。

『弁天小僧』
菊五郎さんの十八番。
松竹座のこけら落としの時はまだまだお綺麗だったのであるが、
ちょっとさすがにおふけになられていた。

世は日本語ブーム、ひいては黙阿弥ブームなのか、
「知らざぁ言って聞かせやしょう」で、
「ひゃぁ、ホントに言うんだぁ」って感じの失笑で客席がわいた。
この手の笑いは初めて聞いた。

供を一人連れた美しい武家娘が
大きな呉服屋に嫁入り支度をそろえに来た。
江戸は単身赴任男ばかりの都市なので、店中が浮き足立つ。

次々に反物を引き出すうちにお嬢様、小さな布を自分の懐に入れる。
店員たちは「すわ万引き」と娘を取り押さえる。
額を算盤ではたかれ、娘は傷を押さえてうずくまってしまう。

供の男は「この布はその前で行った店で買い求めたもの、
その店の商標が付いているはず。
嫁入り前のお嬢さんに傷が付いた、どうしてくれるのだ」と詰め寄る。

主人も出てきて謝るが、収まりそうにない。
そこへ奥から頭巾をかぶった立派な武士が現れ、
「その娘は実は男、腕にちらっと入れ墨が見えた、
強請かたりに現れたのだ」と指摘する。
騒然とする店内。

と、低い声で「ばれちゃぁ仕方ねぇ」と
さっきまでの楚々たる風情はどこへやら、
ふてぶてしくのびをひとつ。肩脱ぎで入れ墨を見せ、
島田髷のまま、キセルをふかし、オレの素性を知らないってか、
「知らざぁ言って聞かせやしょう」と例の弁天小僧の名科白を語るわけ。

それでもまだ開き直り居座る弁天と供の男役だった南郷力丸に
店の主人は穏便にと金を与えて帰す。

弁天は振り袖を脱いでしまい、からげた赤い襦袢の上に南郷の着物を羽織り、
島田髷の上には手ぬぐい、そんななりでせしめた金の分配法など
南郷とじゃれ合うようにしながら帰っていく。

弁天小僧ってのは、「白浪五人男」って盗賊団の一人。
美貌だったので少年時代、お寺の稚児にやられる、
これは要するに坊主の男色の相手にされるってこと。
彼にはそのケがなかったので、逃げ出して、不良になって五人男に加わる。

女装しても誰も見抜けないほどの美貌を生かして、
美人局なんぞ(つつもたせ)なんてことまでやっちゃう。

今回お供に化けた南郷力丸とは友人、てなキャラクターなので、
キムタクにやらせてみたいなんてことは、
ミーハーな歌舞伎ファンならみんな考えてしまいます。
南郷は香取慎吾がいいかな。
中居正広と草なぎ剛でのトホホの花道引き上げもちっと楽しそう。

でさぁ、呉服屋の窮地を救ったさっきの武士、
実は盗賊団の首領、日本駄右衛門だった、
そもそもが最初から全部、呉服屋に強盗にはいるための
下準備だったってんだから、スケールがでかいのかセコイんだかよくわからん。

この駄右衛門は座頭(ざがしら)の役どころ、
それが団十郎の白血病で
仁左衛門に回ってきたので、わざわざ見に行った訳。

仁左衛門さまはストーリーを大事するんで、
弁天と南郷に目配せして帰らせた。

そのあとも因縁話がいろいろあって、
弁天は実はさっきの呉服屋の生き別れの息子とわかったりするのだが、
その辺は今回カット、
とりあえず、悪事がばれて、五人そろって逃亡中。
取り手に追いかけられているのに
その派手なそろいの衣装はどうなってんの?
てな当然のツッコミは措いておいて、
白浪五人男で五人そろって名乗りを上げる。

日本駄右衛門は座頭の貫禄でよかったです。

| | Comments (1421) | TrackBack (0)

August 31, 2005

「リチャード三世」@シアター・ドラマシティ

2004年1月24日(土)6時開演の部
5列15番 前から三番目下手側

前回不満だったのが、リチャードがアンを夫の棺桶の前で口説き落とすシーン。
これを香寿たつきがやるというから見に来た。

香寿たつきは、夫によれば「歌よし踊りよし芝居よしの三拍子そろった人、
特に演技力は特筆ものだが、惜しむらくは華がない、
脇の悪役なんかやらしたらサイコー」なんだって(^-^;。
初演時もタカラヅカ退団直後の男役トップを使っていたから、
蜷川幸雄の「アン」のイメージは細身で硬い感じの女性なのだろう。

一口に言って、市村正親のリチャードはより歌舞伎化されていた。
はっきり見得こそは切らないまでもクローズアップ的な見せる芝居を
心がけていたし、唇をぶるるるるとふるわせ続けて科白をきかせる
歌舞伎特有のテクニックも随所に使っていた。

初演では、科白で「醜い」とは言ってたけど、
市村さん自身がやっぱりキレイでかっこよかった。
その面で「軽い」と評されてしまった反省からか、
右目の上から青黒くアザを作り、メイク自体もアクを強く、
邪悪な表情には磨きをかけて、それにまぁ、数年分年も取っているし、
「屋根の上のバイオリン弾き」のテヴィエとっつぁまがやれるほどに。

香寿たつきはやや離れ気味の大きな目に頬骨が立った、私の思うところの
典型的タカラヅカ男役顔、ただし麻実れいに比べると確かに華がない。
でも、口説きのシーンはとってもエロティック。言葉での濡れ場だったと思う。

前回の配役で印象的だったのが、リチャードの兄王の妃役有馬稲子の存在感。
黙って立ってるだけで目立つ、ど貫禄。今回は夏木マリ。
王妃だが、出身は平民の豪商未亡人、大きな息子もいるし、エドワード王より年上、
当然周りは反対なので秘密裏に結婚式を挙げた、皇太子はこの結婚で生まれ、
まだいたいけな年頃、王妃は側近に自分の兄や前の結婚での息子たちを
取り立て勢力を築こうとしているが、後ろ盾の王の死で・・・てな状況だから、
考えてみるとど貫禄の有馬稲子より、色っぽさがウリの夏木マリの方が適役か。
兄や息子らの役者に背の高いものたちをそろえて、
肩をそびやかし、必死で虚勢を張るエリザベス王妃にはリアリティがあった。

彼女もまた、後半でリチャードに娘を嫁にくれと口説き落とされる場面がある。
こっちはもう「勧進帳」だなと思った。丁々発止、生死をかけて問答している迫力。
いい席だったから、圧倒される思いだった。有馬稲子のこの場は思い出せない。

そんなわけで、初演より充実していたと思う。
天井から馬の死体などが落っこちてくる演出は一度見たらまぁいいようなものだが。
リチャードの戴冠式で舞台背景の大型の鏡が傾き、客席が映り込んで、
観客が「彼を支持した民衆兼彼の悪事を目撃してきた共犯者」と成る
第一幕幕切れは席が前過ぎて、前回の方がよかったんだけど、
それは私の局地的な現象。自分が映っちゃって、ヘンな気分。

| | Comments (49) | TrackBack (0)

July 29, 2005

バカの井戸~

某月刊誌でさ、
チック持ちで左利きで失言癖があって
ADHDまず間違いなしって某都知事
(これ全部おなじ状態を持ってる当事者の私が
言うからいい・・・いいってことはないか・・・
まぁ、当事者でない人は言わないで下さいよ。
ついでだから失言しちゃうけど、
彼は自己愛にも問題があるように感じる)と
『バカの壁』の養老孟司との対談、
「子供は脳からおかしくなった」ってのを
立ち読みに行った。
もうすぐ九月号出ちゃうでしょ~。

彼がADHDについてとんでもない偏見発言してくれてたら、
ふふふ、ちょっとウレシイかなって思ってさ。
いやぁ、ネタにするしっぽをまたつかんじゃったってな感じで。

だがしかし、はぁあああ、
対談ページ最初の見開きの左ページで
もう大脱力・・・・・

あとは惰性で読みましたが、二人とも持論の
 近頃の母親がいけない、
 スパルタ教育ばんざい、
 俺の親父は(私の母親は)えらかった
みたいなことの羅列で、
読むだけ時間の無駄だったかも。

 あぁ、都知事(とことん検索から逃げるつもりの卑怯者>私)は
 高校生の頃、不登校になってたってのが、大きな発見。
 これを「登校拒否」と表現していたか、
 「不登校」だったか、また「引きこもり」だったか忘れた。
 結構、知事の「引きこもり」観を読むのに重要ワードだったのに。
 で、お父上が「気分転換をして来い」って、
 京都の御茶屋さんを紹介して下さって立ち直ったって、
 要するに自慢話なのさ。

大脱力は養老孟司氏の発言について。

夫は嫌うんだけど、鋭い発言はあると思う。
夫が一番怒ってるのは、解剖学者で脳の専門家なのに
心の専門家みたいな本書いてることのようだ。

私はまぁ、『バカの壁』のキモ、
人間自分の読みとりたい情報しか読みとらないんだから
ってとこには大変共感いたしました。
その後の章はなんでこの人こんなにナイーブなのかしら、
文字通り「象牙の塔」の住人なんだと思ったかな。

対談で大脱力したのは「自閉症の少女ナディア」についてです。

ナディアのことは、多分、バロン・コーエンらの
『自閉症入門』に載っていたと思う。いい本だ。

表紙が、ナディアが三歳だか五歳だかに書いた馬の絵。
「馬に乗ってラッパを吹く人」なので何か元絵を見て描いたのだろうが、
それにしても、写真のようにそのままの形態で捉えている。

定型の発達なら、丸や点の組み合わせから顔が出来ていき、
顔に手足が生えて、やがて胴体が出来てと
概念が形作られて、それとともに絵が発達していく。

自閉症児で絵画的なサヴァン
 (知能とアンバランスな特殊な才能を示すこと。
  何百年先の何月何日が何曜日ってなことが
  即答出来るカレンダー記憶を持つ双子なんかが有名)である
ナディアはこの過程を経ることなく
画用紙に生まれて初めて描いた絵がこのレベルだったのである。

で、まぁ、ナディアは言語獲得が遅れていた。
自閉症と診断がついて、療育やらいろいろ働きかけをして、
彼女もある程度はしゃべれるようになった。

すると、彼女の絵は
彼女の遅れた発達レベルに適合した絵になっちゃったのである。
二度と素晴らしい馬の絵は描かれることがなかった。

だから、人間の頭は言葉でものを捉えているんだなぁ。
言葉の制御がないときは、カメラのようにものを見てるんだろうか?
それともこれは飽くまで自閉症児ナディアの場合だけなのか。
ベティ・エドワーズなんかは脳のモードを使い分けるなんて言ってるが。

脱線しちゃったけど、自閉症児ナディアの症例は
こんな風にいろいろ考えられる興味深いものなのですよ。


でさぁ、養老氏がこのナディアについて知っていたのは感心。
自閉症への理解は最近やっと進んできたものだから、
年は取っても勉強してるんだな、と。

でも、対談二ページ目の
「自閉症が完治したら絵が描けなくなった」って何ですか?

私が医学生だった20数年前、既に、
自閉症は脳の障害であり、完治することはない
これは知っていないといけないことだった。

「自閉症が完治する」って

これが脳の専門家の発言でしょうか?

もっとコワイのが、
彼は決して不勉強な人ではない。
同じ年齢の人よりもずっと勉強してる、
自閉症についても、
この本かどうかはわからないけど、読んだらしい。
で、その挙げ句が
「自閉症が完治する」発言ですよ。

あとのページもこういうフィルターがかかった脳が
読みとった情報を得意げにしゃべってるんだもの、
そりゃぁ、脱力して、残りのページ読みたくなくなるのも
わかるでしょ?実際、一度広告ページが入ったところで
くじけて帰ったんだもん。

あぁ、そうだ、「こういうフィルター」のことを
養老孟司氏はうまい表現してらしたっけ、


「バカの壁」と。

つまりこの対談
「『バカの壁』の壁」
テーマなんですな、ほほほ。

ご参考までに
アマゾンの紹介文からの引用です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106100037/qid=1122564198/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-8596653-3474709
>日経BP企画
>バカの壁
> 我々人間は、自分の脳に入ることしか理解できない。
>学問が最終的に突き当たる壁は自分の脳である。
>著者は、この状態を指して「バカの壁」と表現する。
>知りたくないことは自主的に情報を遮断し、
>耳を貸さないというのも「バカの壁」の一種。

自分も「バカの壁」ってっか
「バカの井戸」に落ちてないか
いつも気をつけなくてはという自戒を込めて。

| | Comments (59) | TrackBack (0)

«統計のトリックとタバコの話【クイズ付き】